私は、父親の強い要請により、又家の事情もあり尋常高等小学校の高等科に入り、私の熱望する中学校へは入れませんでした。いくら向学心に燃えて居ても家が貧乏では止むを得ません。しかし真面目だった児が徐々に不満のはけ口で不良化して行ったのは無理は有りません。

 其の中に世の中は風雲急を告げ、とうとう高等二年生の秋に太平洋戦争に突入しました。今から考えれば日本は緒戦の戦果に溺れ敗戦の道を辿り始めたが、国民には全々知らされて無かった。只報道を信じるのみ。

 翌年三月無事に学校を卒業し、学校の世話で隣町にあった「富士飛行機株式会社」に入社、仕事をしながら会社の中にある青年学校に通う。戦争中為、戦時色が濃く教練が主で相当厳しかった。



尋常高等小学校:尋常小学校(7~12才 現在の小学校)と高等小学校(13,14才 現在の中学校)があわさったもの、現在の「小中一貫校」。高等二年生は13,4才の頃。高等小学校は昭和16年4月に国民学校高等科となり、昭和22年(1947)の学制改革により消滅。
※青年学校:尋常小学校を卒業した勤労に従事する青少年(13~19才)に対して社会教育を行っていた機関。